暮らしと公共施設の関係・豊橋市斎場再整備から新アリーナPFIまでを考えてみた

豊橋市斎場

暮らしのすぐ隣にある「公共施設」

ぼくが暮らす地域のすぐ隣には、豊橋市が運営する斎場があります。2021年に建て替えられたこの新しい施設は、火葬炉の高性能化やバリアフリー対応など、確かに時代に合った立派な斎場になりました。でもその一方で、敷地の入口は頑丈な門で閉ざされ、かつてのように地域の子どもたちが駐車場で遊ぶような光景は見られなくなってしまいました。

昔の斎場は、見た目は古くてもどこか地域に馴染んでいて、ぼくらの生活のすぐそばに当たり前にある存在でした。キャッチボールをしたり、ラジコンを走らせたり、遊び場が少なかった当時のぼくらにとっては、あの広いアスファルトの空間が貴重だったんです。斎場というとどこか敬遠されがちだけど、ぼく達にとってはむしろ身近で、特別に悪いイメージはなかったんですよね。

そんな斎場の再整備に使われたのが「PFI(民間資金を活用した公共施設整備)」という仕組み。行政がすべてを管理するのではなく、民間企業が建てて、一定期間運営も行う方式です。効率がいいとも言われていますが、住民の声がどれだけ届くのか、という点ではいろんな課題も感じています。

そして今、豊橋では同じようにPFIの仕組みを前提にした「新アリーナ建設」が進められています。市は「市民に開かれた施設」と言うけれど、それは本当に地域に根ざしたものなんでしょうか? 斎場での経験をふまえて、ぼくはもう一度「暮らしと公共施設の距離感」について考えてみたいと思います。

斎場の建て替えの背景と市の説明

豊橋市が斎場の建て替えに踏み切った理由として、市が説明していたのは主に「施設の老朽化」と「火葬需要の増加」でした。

ぼくが生まれた頃、この場所にあったのは「斎場」ではなく「火葬場」と呼ばれていた建物でした。昭和7年に建てられたというその施設は、薄暗い雰囲気で、子ども心にちょっと不気味な印象がありました。当時は「火葬場の近くに住んでる」と言うと、少しだけ特別な視線を向けられるような、そんな空気もあったように思います。

でも、小学5年生の頃にその建物は建て替えられ、昭和51年に新しい斎場が完成しました。この時から斎場の雰囲気はがらっと変わって、特に広いアスファルトの駐車場が子どもたちにとって絶好の遊び場になりました。キャッチボールやローラースケート、ラジコンなんかもできて、当時のぼくらにとってはちょっとした「広場」のような存在でした。

それから40年以上が経ち、施設の建物もさすがに古びてきて、設備の使い勝手や老朽化が目立つようになってきました。市の資料によると、豊橋市での火葬件数は平成27年度時点で3,418件だったものが、令和47年度には4,700件近くまで増えると見込まれていたそうです。それに対応するには火葬炉を12基まで増やさないといけないということで、設備更新は避けて通れない判断だったのでしょう。

加えて、バリアフリーの不足や待合室の狭さといった声もあり、市としては「より多くの人に使いやすい施設に」という意図で建て替えを進めたようです。たしかに、そういった面では改善の必要性は理解できます。

ただ、地域に住むぼくらとしては、建物の新しさや火葬能力の増加といった機能面だけでなく、「この場所がどう地域と関わっていくのか」がやっぱり気になるところなんです。

PFI方式の仕組みと地域との距離感

今回の斎場の建て替えでは、「PFI方式」という、ちょっと耳慣れない仕組みが使われました。簡単に言うと、行政が施設をすべて自前で建てて管理するのではなく、民間企業に任せる部分を増やすことで効率化を図ろうという考え方です。

具体的には、「BTO方式」というかたちで、民間が施設を建てて(Build)、完成したあとに市に所有権を移し(Transfer)、そのうえで一定期間その施設の運営や管理も続けて担当する(Operate)というもの。豊橋市の場合、事業費は約72億円で、契約期間は建設開始から施設の運営を含めて20年以上にわたる長期契約となっています。

市はこの方式によって、コスト削減やサービスの質の向上が期待できると説明していました。たしかに、最新の火葬設備や快適な待合スペース、災害時のバックアップ電源の備えなどを見ると、ハード面ではしっかりとしたものができたと思います。

でも、じゃあ地域との関係はどうだったのか?という点で言えば、疑問が残る部分もあります。

たとえば、ぼくらの自治会からは「斎場の敷地内に遊歩道をつくって、子どもたちの通学路として安全なルートにできないか」という要望を出していました。でも結果的にその声は計画に反映されず、施設が完成した今も、登校時間に車の抜け道として使われる危険な通学路を子どもたちは歩いています。

PFIという仕組みは、契約でガチガチに固められてしまうため、一度計画が決まってしまうと後から柔軟に変更するのが難しいんですよね。施設の設計やサービス内容が住民の声に寄り添う形で作られたのか、それとも「契約に盛り込まれていなかったから」という理由で無視されたのか。その判断の積み重ねが、最終的に「地域と共にある施設かどうか」を分けてしまうような気がします。

実際、建て替え後の斎場はしっかりと門が閉ざされ、ぼくらが子どもの頃に自由に行き来していた空間は完全に失われました。敷地内が禁煙になったことで、逆に斎場の外、つまり住宅地の路上で喫煙する人が見られるようにもなっています。こうした生活環境の変化が、地域の声として十分に受け止められてきたのか、正直あまり実感がありません。

ハードとしての施設がどれだけ優れていても、それが地域の暮らしと乖離していたら、公共施設としてはどこか片手落ちなのでは?そんな感覚を、ぼくはこの斎場の再整備を通じて感じています。

豊橋新アリーナ計画に感じる既視感

2025年7月20日に行われた住民投票で、豊橋市の新アリーナ建設を進める方針が多数の票を得て支持されました。これによって、アリーナ整備計画は大きく前進することになります。市としては「市民の理解を得た」として事業を本格的に動かす構えですが、ぼくとしては建設する以上はより良いものを作ってほしいと思う反面で「大丈夫かな?」と思う気持ちもあります。

というのも、今回の新アリーナの進め方には、かつてぼくらのすぐ隣で進められた斎場再整備の時と、どこか同じ匂いを感じてしまうんです。施設の整備そのものに反対しているわけではありません。でも「住民の声は本当に聞かれていたのか?」という疑問が、また繰り返されているように思えてならないんです。

斎場のときも、市はしっかりと説明会を開き、「施設を良くするための整備です」と繰り返していました。でも、ぼくらの自治会が出した遊歩道の整備や通学路の安全確保といった要望は反映されることなく、最終的には立派な施設が完成し、その門はしっかり閉ざされました。つまり、「声を聞く」と言いながら、それが計画に具体的に反映される機会はほとんどなかったように感じています。

今回の新アリーナも、計画の初期段階から「PFIやコンセッション方式で民間と連携して整備・運営していく」と言われています。一度契約してしまえば、住民が後から声をあげても変えることが難しいという構造は、斎場とまったく同じです。住民投票で「賛成」が多かったとしても、その中身、つまりどう整備し、どう地域とつながっていくか?について、これからしっかりと議論が尽くされるのかどうか、不安が残ります。

加えて、新アリーナの建設予定地は、豊橋公園という市民にとって思い入れのある場所です。緑の残る歴史ある空間に大きな施設を建てることへの違和感や、周辺の交通や環境への影響を心配する声も決して少なくありません。斎場のときと同じく、「整備は必要だけど、このやり方で本当にいいのか?」と立ち止まる人たちの声が、また置き去りにされてしまうのではないかと心配になります。

住民投票という手段がとられたこと自体は大きな意義があったと思います。でも、「一度賛成の結果が出たからあとはお任せください」という姿勢ではなく、これからが本当の意味での市民との対話のスタートであってほしい。そうでなければ、また「いつの間にか決まっていた」「声を出しても届かない」と感じる人が増えてしまう気がします。

斎場での経験が、ただの過去の話として忘れ去られるのではなく、次の公共施設整備に生かされるべきだと思っています。そして、今回のアリーナ計画が「地域と共にある施設」として育っていくためにも、ぼくら市民の声がこれからも必要とされる場面があることを、切に願っています。

PFIと市民の関係をどう育てていくか

PFIという仕組み自体に、ぼくは一概に反対しているわけではありません。行政の財政負担を抑えつつ、民間のノウハウを活かしてより良い施設をつくるという考え方には、合理性もあるし、今後の公共事業の選択肢として避けて通れない面もあると思います。

でもそれは、「コストが抑えられればいい」「見た目がきれいになれば成功」といった短絡的な発想ではうまくいかない。公共施設というのは、単なる建物や設備ではなく、そこに住む人たちの暮らしとどうつながるかが一番大事なはずです。

斎場の建て替えでは、その「つながり」が置き去りにされたと感じる瞬間がいくつもありました。声を届けたつもりでも反映されなかったこと、生活の延長だった場所が「よそ行き」の空間になってしまったこと。それらの経験は、単なる不満ではなく、「公共施設の在り方ってなんだろう?」と考えるきっかけにもなりました。

そして今、新アリーナというさらに大きな施設が、同じPFI方式で進められようとしています。すでに住民投票で方向性は決まったとはいえ、「賛成多数」=「すべてに納得」というわけではありません。むしろこれからの過程こそが大事で、地域の声をどう取り入れていくのか、行政と市民がどう向き合っていくのかが問われていると感じています。

PFIは契約ありきの仕組みだからこそ、その契約内容を決める前段階で、どれだけ市民と丁寧に向き合えるかがすべてです。そして一度決まったあとも、地域の声を拾い続ける仕組みや姿勢がなければ、立派な施設ができたとしても「なんだか遠い存在」になってしまいます。

ぼくらの暮らしと公共施設との距離が、これ以上遠くならないように。斎場で感じた違和感や教訓を、次の施設づくりにきちんとつなげていけるように願っています。

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