2025年7月23日

このブログを立ち上げたのは2025年の3月。あっという間に4カ月が過ぎ、これまでに投稿した記事は63本になりました。週に数本のペースで地道に続けてきたことを思えば、そこそこ頑張っている方ではないでしょうか。そして6月末から7月にかけて、アクセス数が少しずつ伸びてきています。その背景には、やはり「豊橋新アリーナ」に関する話題の影響が大きいと思われます。住民投票をめぐる市民の関心が高まる中で、関連する記事への訪問も増えているようです。昨日はついに、これまでで最も多い264アクセスを記録しました。ブログを続ける上で、こうした反応があるのはやはり嬉しいものです。
豊橋新アリーナの話題が追い風に
アクセス数が伸びた最大の要因は、言うまでもなく「豊橋新アリーナ」に関する話題です。特に6月下旬から7月20日にかけて行われた住民投票をめぐっては、地域のあちこちで議論が起こり、市民の関心も一気に高まりました。普段は政治や公共事業にそれほど関心を持たないような層までもが、今回ばかりは自分ごととして情報を探し、発言し、判断しようとしていた印象です。
このブログでも、豊橋新アリーナに関する記事を何本か投稿してきましたが、検索からの流入だけでなく、SNS経由でも徐々にアクセスが増えていく様子が見て取れました。特定の意見に偏らず、自分自身が説明会などに参加した経験や感じた疑問、地元目線での問題提起を丁寧に書いたことが、一定の読者に届いたのだと思います。
地元で注目されているテーマを、タイムリーに、かつ当事者目線で掘り下げることの重要性を、今回あらためて感じました。ただ単に話題だから書くのではなく、「このまちに住む一人として考えたこと」を自分の言葉で記録することが、多くの人にとって共感や気づきにつながるのではないかと思っています。今回のアクセス増は、そんな手応えを与えてくれる出来事でした。
記事の投稿後はFacebookとXで発信
記事を投稿した後は、必ずFacebookとX(旧Twitter)でもシェアしています。Facebookの友達は150人ほど、Xのフォロワーは50人程度と、決して多い数字ではありません。それでも、地域の話題や豊橋新アリーナのような注目テーマに関しては、投稿をきっかけにコメントやシェアが付くことがあり、思っていた以上に特定の関心層へ届いている感覚があります。やはり、身近な人たちが「読んでみよう」と思ってくれることは励みになりますし、記事を書くモチベーションにもつながります。
SNSは拡散性が高いとはいえ、大量の情報が流れる中で自分の投稿がどこまで広がるかは不透明です。特に個人アカウントでは、バズを狙うのは現実的ではありません。それでもゼロではなく、少しずつでも記事を読んでもらえるチャンスを増やす手段として価値があると感じています。今後はタイトルや投稿文に工夫を加えることで、より多くの人に届けられる可能性もあるでしょう。SNSは万能ではありませんが、ブログと組み合わせることで「継続的に発信する場」を持つ意味があると実感しています。
SNSと政治家の情報発信
今回の豊橋新アリーナをめぐる住民投票期間中、多くの市議会議員がSNSを活用して活発に情報発信を行っていました。X(旧Twitter)やFacebookを通じて、自らの立場を明確にし、アリーナ建設の意義や住民投票の重要性を訴える投稿が数多く見られました。中には質疑応答形式で市民の疑問に答えたり、説明会の様子をリアルタイムで共有したりするなど、双方向的な発信を試みていた議員もいました。
しかし、投票が終わったとたん、その勢いは一気に失速。あれだけ熱心だった議員たちの多くが、まるで「役目は終わった」と言わんばかりに沈黙し始めたのです。選挙や住民投票といった「イベント」が終われば情報発信も終わる、そんな姿勢が垣間見えてしまったことに、少なからず残念な気持ちを抱きました。
市民との対話の場としてSNSを活用することは意義がありますが、それが一時的なものに終わってしまっては意味がありません。「発信する」という行為が、政治活動の一部として日常的に行われるべきだとすれば、今回のような選挙期間中だけの一過性の発信では信頼は育たないのではないか。そんな疑問が残りました。政治家にとってのSNSは、単なる宣伝の場ではなく、継続的に市民とつながるための道具であってほしいと強く感じます。
SNSの限界と公式サイトの必要性
SNSは手軽に情報を発信できる反面、時間が経てばすぐに新しい投稿に埋もれてしまいます。たとえば1年前に誰がどんな発言をしていたのかを探そうとしても、ほとんどの場合はたどり着けません。話題が旬なうちは注目されても、時間が経てばタイムラインの波に流されていく。それがSNSの宿命です。
さらに、コメント欄には賛否両論が飛び交い、ときに感情的な言い合いや、目を覆いたくなるような暴言が並ぶこともあります。冷静な議論の場としては必ずしも機能しているとは言いがたく、情報が正しく伝わるどころか、誤解や分断を生む要因にもなり得ます。
だからこそ、政治家にはSNSだけでなく、公式サイトなど「情報がきちんと蓄積され、いつでも読み返せる場」での発信が求められるのではないでしょうか。過去の発言や政策の考え方をきちんと残し、それが市民から容易にアクセスできる形で公開されていることは、信頼の土台になります。一時の熱量に任せた発信ではなく、時間が経っても消えない記録として、責任ある言葉を残す場が必要です。情報は伝えるだけでなく、残すことにも価値があります。その視点が今、政治家には問われているのだと思います。
「伝える」から「残す」発信へ
今回のアクセス数の伸びをきっかけに、あらためて「発信すること」の意味を考える機会となりました。今後もこのブログを通じて、ただ出来事を追いかけるだけでなく、テーマを持って自分の考えを丁寧に綴っていきたいと思っています。たとえ一つひとつの記事が小さな発信であっても、それらを積み重ねていくことで、やがて大きな意味を持つ記録になると信じています。
情報は発信するだけでは足りません。SNSのように時間の流れに埋もれていくのではなく、いつでも誰でもアクセスできる形で「残す」ことが大切です。特に地域の課題や政治の話題のように、後から「何があったのか」を振り返る必要のあるテーマでは、そうした記録の積み重ねが社会にとっても意味を持つはずです。
SNS全盛の時代だからこそ、自分の言葉を「自分の場」で書き残すことの意義を、今は強く感じています。伝えることと同じくらい、残すことにも価値がある。そう信じて、これからも地道に書き続けていこうと思います。