2025年6月3日

僕もかつては「豊橋新アリーナ賛成派」だった
豊橋新アリーナ建設の話題が出はじめた10年ほど前、正直なところ、僕は「それもいいかもしれない」と思っていました。反対する理由もなかったし、むしろ便利になるのではという期待の方が大きかった。というのも、娘が小学生でミニバスをしていた頃、試合や練習のたびに、車で海の方にある豊橋総合体育館まで通うのがとても不便に感じていたからです。体育館までの距離もさることながら、駐車場が不足したり、周辺に飲食店が少ないこともあって、親としても使い勝手の悪さを何度も感じていました。
また当時浜松・東三河フェニックスだった現在の三遠ネオフェニックスの試合もよく見に行っていましたが、もし市街地に新しいアリーナができたら、豊橋駅から近ければ試合前に駅周辺で食事をしたり、観戦後にちょっと一杯、という楽しみ方もできるかもしれない。フェニックスの試合をイベントとしてまるごと楽しめる。そんな風に思っていたのです。市の中心部に人の流れが生まれ、「町がにぎわう」という構想にも一定の現実味があるように思えました。
僕が子供のころの昭和50年ごろは駅前や広小路は週末ともなれば大変な賑わいで活気がありました。一方で現在の豊橋駅周辺は当時と比べれば閑散としています。ですので駅周辺の街中のにぎわいの創出を願う気持ちは、理解できます。でも、今は立ち止まって考えています。かつて期待していたからこそ、今は疑問が多くなってきたのです。
なぜ今「豊橋新アリーナ建設反対」に近いスタンスなのか
かつては豊橋新アリーナ構想に期待を抱いていた僕ですが、計画の詳細が明らかになるにつれて、今はむしろ「このまま進めてよいのか?」という疑問の方が大きくなってきました。以下に挙げるのは、現在の僕がこの豊橋新アリーナ建設計画に素直に賛成できないと感じる理由です。
豊橋新アリーナ建設費150億〜230億円、そのツケは誰が払うのか?
豊橋新アリーナ本体で約150億円、豊橋公園再編や球場移設まで含めると総額230億円。この巨大な予算の負担者は、基本的には私たち豊橋市民です。これだけの公費を投じるにふさわしい事業なのか、本当に見極める必要があります。
三遠ネオフェニックスはこのアリーナの「本拠地」として想定されていますが、球団やスポンサー企業がアリーナ建設費に直接出資する話は一切聞こえてきません。B1ライセンスのための「箱」を市民の税金で用意するという構図にどうしても納得がいきません。
しかも、他の分野では豊橋市の財政難が理由で事業見送りが相次いでいます。保育、教育、福祉、インフラ…市民の暮らしにもっと直結する公共投資の方が後回しにされているように見えるのです。
豊橋新アリーナ推進派の市民活動が見えない
仮にこの豊橋新アリーナが本当に地域にとって必要で、皆が「ぜひ実現したい」と願っているのなら、市民の側から自然とクラウドファンディングや署名、募金活動、ボランティアが盛り上がるはずです。
しかし、現時点でそうした「市民の熱意」はあまり感じられません。声高に賛成を訴える人たちはいるものの、彼らが自らの財布を開き、汗をかいて支える覚悟があるようには思えないのです。どちらかといえば豊橋の財界がこの豊橋新アリーナ建設推進をけん引しているように見えるのです。
「税金で作るアリーナ」は本当に必要なのか?
スポーツを支えること、地域にエンタメの場をつくることには意義があると思います。けれど、果たしてそれを「税金で大きな箱モノを作る」形で実現する必要があるのでしょうか?
他都市では、アリーナの整備を球団主導で行ったり、スポンサー企業が土地や資金を提供したりといった例もあります。豊橋市の場合、そのような官民連携の工夫はほとんど見られず、「市民負担ありき」の構造になってしまっているのが現実です。
さらに問題なのは、このアリーナが実質的にプロチーム専用の施設と化すリスクがあることです。多目的施設とはいえ、試算における年間利用日のうち、三遠ネオフェニックスのバスケットボール興行が多くを占めることが予想されます。週末に市民のスポーツ団体がアリーナを使いたくても使えないといった可能性が高いように思います。それでは公的資金を使って「特定の民間事業者に利する施設」を作る形になっているといわれても仕方ありません。
豊橋公園という「静かな空間」の価値
豊橋新アリーナの建設予定地である豊橋公園は、僕にとっても、そして多くの市民にとっても、子どもの頃から親しんできた静かな憩いの空間です。春には桜を見に行き、休日には散歩やジョギングを楽しむ。市街地のすぐ近くにありながら、落ち着いた時間が流れる、そんな場所です。
そうした空間に、収容人数5,000人規模の多目的アリーナを新設するという計画には、やはり違和感があります。市は「にぎわいの創出」を強調しますが、公園はそもそもにぎわいを求めるための場所ではありません。市民の日常に寄り添う静けさや余白が、公園には必要なのではないでしょうか。
また、立地の問題も無視できません。新アリーナの建設予定地は、通勤ラッシュや帰宅時の渋滞が慢性的に発生する地域にあります。西八町交差点周辺は、朝夕の交通混雑が激しく、日常生活にも支障をきたしています。そんな場所に大型イベント施設を設ければ、当然ながらさらなる混雑が起きる可能性は高いでしょう。
イベント開催時には、交通規制や観光バスの往来、市電の混雑などが日常的に発生するかもしれません。近隣住民にとっては、静かな生活空間が一変し、ストレスの多い環境になってしまうことも懸念されます。
公園とは、人の暮らしに寄り添い、静かに佇む場所であってほしい。イベントのにぎわいは、別の場所で創り出すこともできるはずです。市街地の活性化と公園のあり方、その線引きを今一度、丁寧に考えるべきだと感じています。
「防災拠点」という理屈への違和感
豊橋新アリーナ計画に関して、豊橋市はたびたび「防災拠点としての機能強化」を強調しています。たしかに、大規模災害時に備えた備蓄や物資の集積、応援部隊との連携をスムーズにする拠点の整備は重要な課題です。ですが、それが「だからアリーナは必要だ」とまで結びつけられると、どこか無理があるように感じてしまいます。
「防災」と言えば、批判を受けにくくなることは行政も理解しています。だからこそ、防災機能がアリーナ建設の免罪符になってはいないか?という疑問が拭えません。新アリーナを作るための後付けの理由として防災が使われているようにも見えるのです。
また、豊橋公園にアリーナを建てることで、代わりに現在の豊橋球場を移設する先とされている神野新田町は、「津波避難困難地域」に指定されている場所です。液状化のリスクも指摘されており、「地震発生から77分で津波が到達するから大丈夫」といった説明は、どうにも現実味に欠けます。77分という数字が示されても、高齢者や障がいのある人が混雑する中で避難できるかどうかは別の話です。
そもそも、防災を第一に考えるのであれば、真っ先に検討されるべきは「立地の安全性」のはずです。災害時の拠点にすべき場所が、津波や液状化のリスクを抱えているという時点で、本末転倒ではないでしょうか。
本当に市が「命を守る拠点」を目指すのなら、新アリーナありきで防災を語るのではなく、安全性を最優先にした別の形で整備を検討すべきだと思います。
豊橋新アリーナ建設についての説明と合意形成は本当に十分だったか?
この豊橋新アリーナ計画がここまで進んでいるにもかかわらず、いまだに多くの市民が「よくわからないまま話が進んでいる」と感じているのではないでしょうか。僕自身も、その一人です。
浅井市長は前回の市長選で「豊橋公園でのアリーナ建設はゼロベースで見直す」と明言して当選しました。ところが実際に行われた見直しは、最終的に同じ豊橋公園に決定するというもので、既存計画のほぼ踏襲とも言える内容でした。市民から見れば「約束と違う」と感じるのも無理はありません。
さらに、市側はこれだけ大きな公共事業であるにもかかわらず、正式な市民説明会を開く予定は「ない」と明言してきました。代わりにパブリックコメントや資料公開、ワークショップは実施したとされていますが、十分な説明と対話の場があったとは言い難いのが実情です。
一方で、市議会ではたびたび紛糾が続き、住民の側では住民投票条例の制定を求める署名活動が広がっています。こうした市民の動きは、「もっと丁寧に説明してほしい」「市民の声を聞いてほしい」という願いの表れです。
にもかかわらず、なぜこれほど急いで計画が進められるのか。そのスピード感に対して、多くの市民が納得できていないのではないでしょうか。「説明した」と言われても、受け取る側が理解し、納得していなければ、それは説明とは言えません。合意形成とは、単に情報を出すことではなく、市民と同じ目線で丁寧に向き合うことが求められているはずです。
バスケも好きな僕だからこそ、言いたい



僕はバスケットボールの観戦が好きですし、娘がミニバスをやっていたこともあり、三遠ネオフェニックスの試合にも何度も足を運びました。だからこそ、新アリーナという構想自体に最初は期待していたし、豊橋のスポーツ文化の発展にも関心がありました。
でも、娘が中学校に進学してソフトボール部に入ったあたりから、少しずつ違和感を覚えるようになりました。娘はその後、専門学校までソフトボールを続けましたが、その過程で痛感したのが「豊橋には、まともなソフトボール場がない」という事実でした。
遠征で訪れた他県や他市の会場は、豊橋より小さな自治体であっても、天然芝や人工芝やフェンス、ベンチがしっかり整備されていて、子どもたちにとってもプレーしやすい環境が用意されていました。一方で、豊橋市内には専用のソフトボール場がなく、学校のグラウンドを間借りして試合をするのが当たり前。選手も指導者も、設備の面で不利な状況に置かれていると感じることが多かったのです。
もちろん、すべての競技に平等に予算を割けるわけではないことは理解しています。しかし、それでも「なぜアリーナだけが、こうして特別扱いのように計画が進んでいくのか」というモヤモヤは拭えません。他のスポーツ施設や市民向けインフラの整備が後回しにされる中で、特定のプロチームのための施設だけが着々と形になっていく。そのことに、釈然としない思いを抱いている人は決して少なくないはずです。
僕はバスケが嫌いなのではありません。むしろ好きだからこそ、この豊橋新アリーナ計画が真に市民にとって必要なものなのか、公平で納得できるプロセスで進められているのかを問い続けたいのです。
いま、立ち止まって考えること。それは反対することとは違います。このまちにとって本当に必要なものは何か。誰のためのまちづくりなのか。市民の一人として、冷静に、誠実に、そして丁寧に見極めていきたいと思っています。