2025年5月15日

はじめに:膠着したアリーナ問題、ついに市民が決めるとき?
豊橋市の中心部・豊橋公園に計画されている新アリーナの建設を巡り、長く続いてきた市長と市議会の対立が、いよいよ市民の判断に委ねられようとしています。総額230億円に及ぶ多目的屋内施設の整備は、前市長のもとで進められてきましたが、2024年11月に就任した長坂尚登市長は、計画中止と契約解約を公約に掲げて初当選。その後、工事は中断され、市議会との間で激しい攻防が続いてきました。
市議会はこれまで、建設の賛否を問う住民投票条例案を複数回否決してきましたが、今になって市民団体からの要望書提出や、議会内での調整が進んだことで、参議院選挙と同日の住民投票実施が現実味を帯びてきました。この動きは、一つの公共施設の建設可否を超え、「誰が意思決定の主導権を握るのか」「市政をどう透明に進めていくのか」といった、自治の本質にも関わる重要な局面です。市民自身の手で、市の未来を選び取るときが近づいています。
参考記事
新アリーナ計画の概要とこれまでの経緯
佐原光一市長時代(2010年2月~2020年1月)
豊橋市の老朽化した総合体育館の代替施設整備として、新アリーナ構想が本格化。
豊橋公園内への整備構想が浮上し、市の検討が進む。市民意見を聞きながら、施設の必要性や立地選定に関する議論が進行。
浅井由崇市長時代(2020年2月~2024年11月)
整備基本計画を発表。市民説明会やパブリックコメントも実施。
事業手法としてPFI(民間資金活用)による整備・運営方式を採用。
市民団体が「建設の賛否を問う住民投票条例案」を直接請求(署名提出)。市議会がこれを否決。
民間事業者との間で基本合意を進める。
再び市民団体が住民投票条例案を直接請求(2度目)。市議会が再び否決。
豊橋市と民間事業者との間で約230億円の整備運営契約を締結。豊橋公園内に5,000席規模の新アリーナ建設を正式決定。
長坂尚登市長時代(2024年11月〜)
長坂尚登氏が「建設中止・契約解除」を掲げて市長選で初当選。就任当日、整備運営契約の解約手続き指示を表明。
市議会が契約解除には議決が必要とする条例改正案を可決。市側は「法的に無効」として公布せず、法廷闘争に発展。
建設推進派市民団体「新アリーナを求める会」が、住民投票の実施を求める要望書を市議会に提出。
市議会建設推進派が住民投票条例案を議会運営委員会に提出。
このように、新アリーナ計画は3代の市長にわたり進展と対立を繰り返してきました。現在は、住民投票という形で市民自身が最終的な判断を下す可能性が高まっています。
市長と市議会の対立構造:新アリーナをめぐる政治のねじれ
契約解除を掲げた市長、就任初日に解約手続きを指示
2024年11月、豊橋市長に初当選した長坂尚登氏は、「新アリーナ計画の中止と契約解除」を明確な公約として掲げ、前市政が進めてきた整備運営契約(総額230億円)を見直す姿勢を打ち出しました。市長就任初日には、計画の停止と民間事業者への解約協議を正式に指示し、即座に計画の見直しに着手しました。
市議会は建設推進派が多数、住民投票条例案を再三否決
一方、市議会では自民党・公明党を中心とした建設推進派の議員が多数を占めており、市民団体が2023年と2024年に提出した2度の「住民投票条例案」はいずれも否決されました。さらに、2024年12月には「契約の解除には議会の議決が必要」とする条例改正案も可決され、計画を継続させようとする市議会と、市民の直接選挙で選ばれた市長との間で強い対立が生まれました。
条例公布を拒否した市、法廷闘争へ発展
市議会が可決した条例改正案に対し、市側は「議会の権限を越えており、法令にも違反する恐れがある」として条例の公布を拒否。これにより議会と市長の溝はさらに深まり、事態は法廷闘争へと発展しました。行政の意思決定の正当性をめぐり、司法の判断が求められる異例の局面に突入しています。
このように、民意を背景に契約解除を目指す市長と、議会多数を背景に計画継続を望む市議会との間で、かつてないほどの政治的対立が生じています。双方の正統性がぶつかる中、住民投票による決着が、いま現実的な選択肢として浮上してきています。
住民投票の実施へ~流れを変えた市民団体の動き
これまで2度にわたり市民による住民投票請求が市議会で否決されてきた豊橋新アリーナ問題。その流れを大きく変えたのが、建設推進派の市民団体「新アリーナを求める会」の行動でした。
2025年5月9日、同団体は市議会議長宛に「新アリーナ計画の賛否を問う住民投票の実施」を求める要望書を提出。これに呼応するかたちで、市議会最大会派である自民党市議団を中心に、条例案提出に向けた動きが本格化しました。
議会関係者の間では、これ以上の膠着を避けるためにも「市民に最終判断を委ねるべき」との認識が広がり、他の主要会派も賛同に傾いたとされています。こうして、2025年5月15日の臨時議会で住民投票条例案が提出・採決される見通しが立ちました。
また、投票率の確保とコスト削減の観点から、同年夏の参議院選挙と同日に住民投票を実施する方向で調整が進められています。国政選挙との同日実施は、行政コストを抑えるとともに、多くの有権者にとってアクセスしやすい投票機会となることが期待されています。
市民の声が議会を動かし、ついに市全体で新アリーナの是非を問う舞台が整いつつあります。
長坂市長の立場と市民へのスタンス
2024年11月の市長選で「新アリーナ建設中止と契約解除」を明確に訴えて当選した長坂尚登市長は、就任後も一貫してその姿勢を貫いています。特に注目されるのは、住民投票の実施が現実味を帯びる中での市長のスタンスです。
長坂市長はメディアのインタビューなどで、「住民投票が実施されれば、その結果には従う」「仮に市民が別の選択をしたとしても、それに葛藤はない」と述べ、民意を尊重する姿勢を明確にしています。自身が掲げた公約に反する結果となっても、市政運営に迷いは生じないという点を強調しています。
一方で、選挙戦を通じて十分な説明を行ったとの自負があり、「報告会や説明会は繰り返し行い、チラシも全戸配布に近い形で届けた」として、これ以上の広報活動には消極的な姿勢を示しています。今後の説明責任を求める声に対しては、「すでに説明は尽くしている」とする立場です。
さらに、アリーナ以外の施設整備や代替案についての問いには、「契約解除後に考えるべきこと」として、具体的な方向性の提示を避ける慎重な発言に終始しています。代替施設の可能性や豊橋公園の再整備方針についても、「市としての考えは特にない」と語り、個人としての見解も控えるなど、踏み込みを避けています。
このように長坂市長は、現段階では一貫して契約解除に注力する姿勢を取りつつ、市民の最終判断を尊重するという静かな構えを維持しています。
市民が問われる「選択」の重み
今回の住民投票は、新アリーナを「建てるか建てないか」という単純な二択に見えるかもしれません。しかし、実際には豊橋の財政運営や人口減少に直面するまちづくり全体に深く関わる重要な判断が市民に委ねられています。
建設推進派は、新アリーナが地域のにぎわい創出やスポーツ・文化活動の拠点となる可能性を強調します。大規模イベントの誘致や、地域経済の波及効果への期待もあります。一方で、反対派は約230億円という巨額な整備運営費用、さらに将来にわたる維持・管理コストの負担、そして貴重な市有地である豊橋公園内の土地利用の妥当性について懸念を示しています。
つまり、今回の選択は「建物そのものの是非」ではなく、「限られた公共資源をどう使うのか」、そして「将来世代にどのようなまちを引き継ぐのか」という根本的なテーマと直結しています。
さらに、「市長か議会か」といった政治的な対立を超えて、「誰が決めるのか」「どう決めるのか」という自治の原点も問われています。代表制による政治判断だけでなく、市民が直接意思表示をする機会をどう活かすのか。その姿勢自体が、今後の豊橋の市民社会の成熟度をも映し出すことになるでしょう。
今後の焦点と課題
住民投票を求める動きが具体化し、2025年5月15日の臨時議会で条例案が採決される見通しとなった今、最大の焦点は「住民投票の設問内容とその効力」に移りつつあります。市議会主要会派が賛成に回るとされており、条例案の可決はほぼ確実と見られていますが、住民の判断を左右する「問いの立て方」には細心の注意が必要です。
設問が単純すぎれば、背景にある財政や契約の複雑性を伝えきれず、逆に曖昧すぎれば市民の意思が見えにくくなります。一票の意味をどう設計するかが、住民投票の意義そのものを左右するのです。
また、仮に住民投票で「建設賛成」が多数を占めた場合でも、すでに契約解除を進めている市長の対応、これまで反対姿勢を貫いてきた議会や、解約に応じていない事業者側の動向には注視が必要です。住民投票に法的拘束力はなく、あくまで市民意思の反映にとどまる点も課題です。
仮に「反対多数」となっても、契約の法的解釈をめぐる争点は残り、事業者との協議や訴訟リスク、今後の代替案策定など、決して簡単に“終わる話”ではありません。
この問題の決着は、「市民の意思」と「行政の責任」「契約上の現実」が交差する、極めて繊細なプロセスになるでしょう。
今後の焦点と課題
- 住民投票条例案は可決の見通しだが、設問内容の明確化が鍵
- 住民投票の結果には法的拘束力がないため、行政判断とのすり合わせが必要
- 契約の有効性をめぐる法的課題や訴訟リスクが今後の障壁
- 市長・議会・事業者の三者が住民の意思をどう受け止めるかが問われる
- 「投票で終わり」ではなく、結果をどう活かすかがまちの未来を左右する
自治の本質を問う住民投票
豊橋市の新アリーナ計画をめぐる住民投票は、単なる建設の是非を問うにとどまらず、地域社会にとって「自治とは何か」をあらためて問い直す機会となっています。これまで市長と議会の対立、契約の是非、税金の使い道といった論点が重ねられてきましたが、最終的にその方向性を決めるのは、市民一人ひとりの判断です。
「誰が決めるか」「どう決めるか」という問いに対し、今回の住民投票は、市政に対する関心や責任を市民に直接問いかけています。私たちがどのようなまちで暮らしたいか、未来に何を残したいか。その答えは、市民の投票という行動の中に表れます。
今こそ、行政や議会に「任せる」だけでなく、自分自身が地域の一員として意思を示すことが求められている時です。自治とは、市民が自らの力でまちの進路を選び取ること。その本質が、いま豊橋で問われています。