2025年9月6日

地域の秋まつりに実行委員として関わるようになってから、毎年感じるのが「協賛金集めの難しさ」です。わたしたちの祭りは、企業や大口スポンサーに頼るのではなく、住民の皆さん一人ひとりからの協力金によって支えられています。言い換えれば、祭りは地域に暮らす人の善意の積み重ねで成り立っているのです。
しかし近年、その協力金が思うように集まらなくなってきています。依頼に回ると「年金暮らしで余裕がない」「子どもも大きくなったから、もう協力しなくてもいいだろう」といった声をいただくことが増えました。家庭の事情を思えば無理にお願いできるものではなく、断られるたびに「地域の暮らしの変化」を実感します。
協賛してくださる方ももちろんいますが、以前より金額が減る傾向が見られます。一口1,000円という小さな積み立ても、住民の数が減れば合計は大きく目減りしてしまいます。その結果、まつりの予算は年々縮小し、催しの数を減らしたり装飾を簡素化したりと、どこかで我慢を強いられる現状です。
それでも、住民から直接いただく協賛金には「自分たちのまつりを守ろう」という気持ちが込められていると強く感じます。額の大小にかかわらず、封筒を差し出してくださる姿に支えられ、「やはり続けていかなければ」と胸を打たれる瞬間があります。協賛金が集まりにくい時代だからこそ、その一つひとつの思いをどう未来につなげるか。実行委員としての悩みと責任を日々感じています。
住民協賛金が減る背景(少子高齢化・生活の変化など)
住民からの協賛金が減ってきている背景には、地域社会全体の変化が大きく影響しています。まず挙げられるのは「少子高齢化」です。若い世代が都市部へと流出し、地域に残るのは高齢者が中心という状況が多く見られます。年金で生活している高齢世帯にとって、数百円や千円といえども負担に感じることがあり、以前のように気軽に協力できなくなっているのが現実です。
さらに、地域のつながりが弱まりつつあることも見逃せません。かつては「お祭りは地域全員で盛り上げるもの」という共通認識があり、誰もが当然のように協賛金を出していました。しかし、核家族化や共働き世帯の増加によって、地域行事への関わりが薄くなり、「協賛金を出す必然性」を感じにくくなっている家庭が増えています。
生活環境の変化も影響しています。物価高や光熱費の上昇などで家計に余裕がなくなる中、協賛金はどうしても「節約対象」として後回しにされがちです。特に子育て世代は教育費や住宅ローンの負担が大きく、「出したい気持ちはあるが現実には難しい」という声も少なくありません。
また、地域の住民構成そのものが変わっている点も見過ごせません。転入してきた新しい住民にとって、地域の秋まつりは「自分が関わってきた行事」ではないため、協力の必要性を感じづらいのです。結果として、「昔から住んでいる人は協力するが、新しい住民は距離を置く」という温度差が生まれ、全体として協賛金の集まりが鈍くなっています。
こうした背景を踏まえると、協賛金が減少するのは単なる「協力の減退」ではなく、社会構造そのものの変化を映し出しているといえます。つまり、協賛金の集まり具合は、地域の人々の暮らしやつながり方を映す「鏡」なのです。
協賛金が減っても工夫しながら祭りを続けていく意義
協賛金が年々減少している現実は、実行委員として大きな悩みであり、地域にとっても課題です。しかし、それでも祭りを続けることには大きな意味があります。
第一に、地域のつながりを維持する場としての意義です。秋まつりは単なる娯楽ではなく、住民同士が顔を合わせ、交流を深める大切な機会です。日常生活では会話する機会が少ない近所の人とも、祭りを通して自然と笑顔で言葉を交わせます。協賛金が減ったからといって祭りをやめてしまえば、この貴重な「地域の絆を確認する場」が失われてしまいます。
第二に、次世代への継承です。子どもたちにとって祭りは、地域文化を肌で感じる体験であり、ふるさとの記憶として心に残るものです。規模が縮小しても続けていくことで、伝統を未来につなげることができます。「昔はもっと賑やかだった」と語るよりも、「形は変わったけれど続いている」と実感させることが、地域の誇りを守ることにつながります。
もちろん、財源の確保は簡単ではありません。しかし「協賛金が減っているからこそ、工夫しながら続ける」ことに、実行委員としての使命を感じます。華やかさが少し控えめになっても、地域の人が集い、笑顔を分かち合える場を守りたい。その思いこそが、祭りを続ける最大の意義ではないでしょうか。
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